62歳から再起はできるのか

生活破綻まじか。62歳から再起はできるのか。悪戦苦闘の日々つづります。

本当にやりたいこと(1)

実は過去に2度ブログをやっていたことがある。

何れもどん底の状況で、自虐ネタを公開していた。
何とかその後再就職でき、1度目の時は周りから「よく立ち直ったなあ」と言われもした。2度目のブログ再開の時は、ある日帰宅したら家族は妻の実家に帰っていた。


面接の帰り、中学生になっていた下の娘が偶然向こうから歩いてきて、私が声をかけても下を向いたままま無言で駅の方に歩いて行く後ろ姿は忘れられない。その日一人の家に帰り初めて泣いた。


3度目は考えることもなかった。このままなんとか定年までやり過ごすつもりでいた。


よく考えることがある。
これまでの人生、いくつかのターニングポイントがあり、都度選択してきたわけだが、ここに至り選択は失敗であったということか? それが二択なのか三択なのか四択なのか知らないが「選択しない人生」はなかったか。


太宰治が好きで、自身若いころには作家を目指していたときもあった。
最後は本当に自殺したが、事故だったような気がするが。死ぬ気はなかったんじゃないかな? 彼の道化の精神はよくわかる。


まさしくひとりよがりの人生だが、私は本当に周りの人の喜ぶ顔を見たいために生きてきた。妻であり娘であり同僚であり、取引先の人たち。そんな私が本当にやりたかった仕事が見つかったときには、とんでもない状況下になっているわけで・・・・


続きは後日。

男子として

昨日1時間以上もかけて帰宅したせいか、さすがに本日はダウン。

しかし折角いただいたチャンス。郵便局に行き履歴書と管理会社あての書類を郵送。
Tポイントで食料を調達し戻ったところ。


昨日も書いたが26万円以上の稼ぎがあれば「家賃補助」がないとのことで、妻に確認したが(額面上だろうが)結構稼いでいることに驚きもし、娘とあわせれば、これは無理だなと思いもし、少しは親父に補助は・・・・まあ、これはさすがに男子として言いにくいなあ。


明日は借りていた事務所の退去と、前職からの借り入れに対して今後の対応を協議の予定。会いたくない人と会わなくてはならないが、これも己が責任。何を言われようと、すべては私にある。


おそらく2月から年金が入ると思うが、それを返済原資でお願いする予定。それまでに仕事をみつけないと、返済の予定も立たないが。完済するのにおそらく5年はかかるだろう。完済時には70目前か。


このままでは終われない。

溺れる者は藁をもつかむ

本日は朝から
※※※福祉協議会~ハローワークによって、帰宅したところ。食料は貯めたTポイントで調達。


※※※福祉協議会には「生活支援」の相談。
なんでも家賃の補助もあることだが、世帯全員の収入が手取り26万円以上だとその対象にはならないそう。妻や娘が帰宅したら確認しないと。
肝心の生活支援は3か月程度支援してもらえるとのこと。しかし、直近で国金の融資に失敗たので、今回の生活支援の審査にも落ちそうな気が・・・・


ハローワークでは2枚印刷して、うち1枚に「随時面接」とあり心震わせたが杞憂に終わった。応募者の中から選択するとのこと。ねじ込む気も、ハローワークの担当者にその素振りが微塵も感じなかったので、やめることにした。残り1枚は担当者不在で、午後以降私宛連絡する、とのことだったがまだ無い。


前職からの借り入れの一部を返済して、残りわずかになった。
今月、家賃と借り入れの返済が払えなくなった愚かな人間が考えることは、わずかな残金を増やすこと。こんな状況下でギャンブルをしても増やせるはずもなく、現実は目下の状況。借り入れの返済ができないことを今更開き直り、払える家賃を使い切って後悔しても後の祭り。


溺れそうな人間を誰も助けてはくれない。私だって藁にはなりたくない。


行きはバス、帰りは徒歩で1時間以上かけて帰宅。
ハローワークの帰り際、壁に掲示していた張り紙に1か月以上決まっていない求人があり、自宅の近所だったのでその会社の前に求人の掲示があれば飛び込むつもりが、掲示は無し。さらに自宅のすぐ近くの会社。「ワード・エクセルできる方」の掲示もなくなっていた!


意気消沈。買ってきた食料もあまりのどを通らない。
今日はこの辺で終わり。管理会社に家賃が遅れることを報告するとしようか。